僕は音楽ができない

 世の中には2種類の人間がいる。音符が読める人間と読めない人間だ。題名から察して貰えるかと思うが、僕は後者である。

 音楽の授業の時は仲の良い女子に音符をドレモファソラシドで翻訳してもらい難を逃れていた。あの音符とやらは視認性が今一つだと思う、太鼓の達人の譜面を見習ってほしい。

 音符が読めない僕ですが演奏会ではスネアドラムや鉄琴を担当していた。スネアドラムは兎も角、鉄琴は地味と感じた方もいるでしょう。しかし、それは間違いである。

 鉄琴が地味に感じる理由は中高から幅を利かせる金管楽器どもが派手だからである。小学校の演奏会において一般の人々はリコーダーである。ザクⅡのようにうようよいるリコーダーに対し鉄琴は少数精鋭、相方の木琴とともにズゴックE、ハイゴックとも言える存在である。まあ、ピアノというジオングには敵わないのは事実ですが、これは相手が悪い。

 演奏会以外でも琴の学年代表になったこともある。楽譜は勿論、例の如く女子による翻訳である。取り敢えず、ここまでは全て小学生時代の話。ここまでなら僕は音符は読めないが演奏はできる男なのだ。そう、ここまでは。

 中学校では指揮をすれば音感ゼロのため、全く合わないしアルトリコーダーに至っては指が届かないから演奏すらままならない。まさにポンコツであった。

 高校時代は音楽の授業がなかったが、友人の薦めで太鼓の達人を嗜むようになった。彼らは鬼で遊ぶが、僕は難しいで手一杯。

 

 最近、Youtubeで演奏系の動画を見る。駅にピアノが設置してあり、それを颯爽と現れ演奏する。実に格好良く憧れる。残念ながら僕の最寄り駅ではピアノどころかトイレットペーパーすらない。上がるのは黄色い歓声でなく悲鳴である。

 

 動画に触発されてピアノアプリを入れるも、譜面が読めないことを思い出した記念に記す。僕は音楽ができない。